1周回って知らない話(日本テレビ)ではありませんが、若い人にとって恵俊彰さん=「ひるおび!」の総合司会者というイメージがあると思います。
恵俊彰さんがひるおび!の司会者として抜擢されたのが2009年3月30日。
今から10年以上前からです。
ということは、ひるおび!以前にどんな活動をしていた人なのか知っているのは当時10歳くらいの小学生と仮定すると、現在20歳以上の方だけだと思います。
そこで、この記事では恵俊彰さんはひるおび!以前に
- どんな活動をされていのか?
- 芸能界でどんな立ち位置だったのか?
- そもそもどんなネタをやっていて、
- どのように今の座についたのか?
をひるおび!以前の昔から知っている私がいち視聴者の目線で解説したいと思います。
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昔は芸人!けどホンジャマカは元々お笑いコンビではない
ホンジャマカとは恵俊彰さんと石塚英彦さんによるお笑いコンビ名です。
しかし、世代が同じ人でも「ホンジャマカってどんなネタをしていたの?」と聞かれたとき、思い出せる人は少ないのではないでしょうか?
なぜかというと、そもそもホンジャマカは2人でスタートしたコンビではないからです。
そう、これは歴史を見てみるとわかるのですがホンジャマカは元々お笑いコンビではないんです。
だからか私個人的にはそこまで面白かった印象はないです。
ホンジャマカはナベプロの若手お笑いグループ「ビッグサースデー」から生まれた11人体制のグループでした。
ちなみに恵さんの奥さんは当時メンバーの1人だった松本美貴さんです。
その後メンバーが抜けたりなどして最終的に恵俊彰さんと石塚英彦さんの2人になり、改めて「ホンジャマカ」として活動し始めたんです。
恵俊彰さんがツッコミ担当で石塚英彦さんがボケ担当です。
恵俊彰さんも昔は太っていた
相方の石塚英彦さんは「まいうー」というフレーズを広め、現在でも日テレ系「メレンゲの気持ち」など食レポのでぶタレントとして有名です。
一方、「ひるおび!」の恵俊彰さんを見ても分かるように痩せているイメージがあると思います。
しかし、実は上記で紹介したYouTube動画の通り恵俊彰さんも昔は太っていたんです。
これから紹介する「東京フレンドパークⅡ」や「王様のブランチ」に出演していた頃には痩せているため、恵さんに対する多くの人のイメージはずっと痩せ体型です。
なぜかというと1992年~1993年にかけて恵さんがダイエットをしたからです。
この当時はまだ広く知られたコンビではなかった為、多くの人が太っていた過去を知らないんですね。
コンビで目立ったのは東京フレンドパークⅡのアイスホッケー
1994年4月11日~2011年3月28日まで放送されたTBS系列「関口宏の東京フレンドパークII」内のラストゲームにてゲストがホンジャマカの二人(恵俊彰・石塚英彦)とハイパーホッケーで対戦していました。
番組内では様々なゲームがあり、まずはどんなゲームなのかをゲストに説明するためにホンジャマカのそれぞれがデモンストレーションとして披露することもありました。
正直、私などはホンジャマカ=フレンドパークのハイパーホッケーというイメージが強く、すでにこの当時はコントなどはしていなかったと思います。
東京フレンドパークⅡは放送期間が7年近くあり、また人気番組だっためおそらくホンジャマカの2人が広く知られるようになった番組です。
恵俊彰は王様のブランチのレギュラーだった
実は恵俊彰さん、今でこそひるおび!のメイン司会と務めていらっしゃいますが、王様のブランチでは第1回からレギュラーメンバーでした。
恵さんが出演していた1996年4月~2006年12月の王様のブランチはメイン司会が俳優の寺脇康文さん、タレントの田中律子さん、さとう珠緒さん、優香さんです。
ちょうど現在放送されてる王様のブランチに出演しているオリエンタルラジオの藤森慎吾さんと同じような立ち位置です。
ただ、この席は今よりもちょっとベテラン芸人さんの席でした。
恵さんのほかには小堺一機さんや関根勤さんも同枠で出演されていましたね。
今現在でもそうですが、当時4時間半近い生放送の番組は王様のブランチくらいしかありませんでした。
ただ、途中ニュースや前週のカウントダウンTVの放送を入れたりしていたので、今の番組構成の方が出演者にとっては大変かもしれません。
恵さんは番組スタート時から毎週出演していましたが、1999年3月までは午前中のみの出演でした。その後1999年4月~2004年3月まで午前午後最後まで出演するようになります。
その後2004年4月以降は関根勤さんと交代で出演するようになりました。
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初めてお昼の情報番組で総合司会を務める
ひるおび!の司会者としてのイメージが強いですが、実はひるおび!が始まるずっと前からお昼の顔として帯の情報番組MCを務めていました。
2004年当時のお昼といえば日テレ系列ではみのもんたさん司会の「午後は○○おもいッきりテレビ」、フジテレビ系列では「森田一義アワー 笑っていいとも!」など人気長寿番組が放送されていたため、お昼のTBSは弱かったです。
この当時のTBSのお昼の情報番組は三雲孝枝さんが司会をしていた「ジャスト」1998年9月28日~2005年3月25日がありましたが、どちらかというと午前中に放送されていた岡江久美子さん、薬丸裕英さん司会の「はなまるマーケット」が強かったこともあり、お昼はその他の番組に視聴者が流れていた印象です。
そんな中、抜擢されたのが恵俊彰さんでした。
美術評論家でありコラムニストの山田五郎さんと共に昼の顔になっていきます。
現在、ひるおび!に出演している八代英輝弁護士の位置にあたるのが山田五郎さんです。
ちなみにこの当時八代弁護士はまだ日テレの「スッキリ」にコメンテーターとして出ていました。
恵俊彰さんの情報番組総合司会の軌跡
- 「🉐情報とってもインサイト」 2004年9月27日~2005年3月25日
- 「きょう発プラス!」 2005年3月28日~2006年9月29日
- 「2時っチャオ!」 2006年10月2日~2009年3月26日
- 「ひるおび!」 2009年3月30日~
ひるおび!で総合司会の地位を築く
恵さんは「ひるおび!」以前約4年半ほど情報番組の総合司会を務めていることから、慣れておりまた視聴者目線で番組で扱う内容を紹介しています。
知ったかぶりをせずに主婦層を意識したコメントをされていることに好感が持てます。
だからこそ10年も支持されているのだと思います。
ただ、番組開始当初はまだ他局に強い長寿番組が続いていたのと「司会者」としての世間の認知が弱かったため、そこまで人気番組ではありませんでした。
ひるおび!も当初は芸能人のスキャンダルなどワイドショー的な色合いだったのですが視聴率が振るわず再編成されています。
また司会体制も現在とは違いました。
想像できないかもしれませんが、恵さんともう一人のゲストは月曜から木曜まで日替わりで男性俳優さんが務めていたんです。
- 月曜日・・・寺脇康文さん
- 火曜日・・・高橋克典さん
- 水曜日・・・石黒賢さん
- 木曜日・・・高嶋政宏さん
まぁこれも不振のため約半年(2009年9月末)で再編成され、同年9月28日から八代英輝弁護士が加わりました。
実は八代弁護士も当初はサブの司会ではなく、スペシャルコメンテーターという位置づけだったんです。
その後恵さんのサブパートナーとして昇格しました。
個人的な意見ではありますが、恵俊彰さんが現在の総合司会の地位を築けたのは八代弁護士の支えが大きいと考えています。
やはり番組開始当初は内容がワイドショー的な色合いのため不振でしたが、報道色に変えたことで視聴率が上がったと言われいます。
報道番組になるとどうしても難しい問題を扱うことが多く、コメントも難しい内容を理解した人がいることが重要です。
番組内容に説得力を持たせるには八代弁護士の力は必要であり、“顧問弁護士”的な役割を果たされていると思います。
最後に
恵俊彰さんは昔どんなことをされていたのか振り返ってきました。
まさか“芸人さん”だったの?という感想を持った方もいるでしょうし、芸人だったのは知っていたけどどんなネタをやっていたのか改めて発見した方もいらっしゃると思います。
私自身、お笑いとして好きだったのはホンジャマカよりも同期のバカルディ(現さまぁ~ず)でした。
なのでホンジャマカに対するイメージはお笑い芸人というよりも、お笑い出身でコンビでも活動しているけど個々人でも活動しているイメージでした。
ちょうど今でいうオリエンタルラジオと同じようなイメージです。
オリエンタルラジオも現在はお笑いのネタ番組などでコンビでネタをやることってないですよね。
ホンジャマカは恵俊彰さんは司会者として、石塚英彦さんはグルメ番組のレポーターとして定着しています。
平日は「ひるおび!」土曜は「メレンゲの気持ち」を見ている私にとって恵さん、石塚さんは個々人として面白いです。
最近変わったなぁと思うのは恵さんの髪方が茶髪になったことですね(笑)
そちらについてもネット上の反応をまとめてあるので 恵俊彰の髪色が茶髪からアッシュに?中年が明るい色に染める理由ご覧下さい。